■ 第1回市町村合併講演会「地方分権時代の市町村合併」講演録 ■
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「地方分権時代の市町村合併」講演のレジュメ PDFファイル版(37.3KB)
第1回市町村合併講演会「地方分権時代の市町村合併」講演録 PDFファイル版(74.6KB)

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◎第1回市町村合併講演会「地方分権時代の市町村合併」講演録

 講 師:同志社大学法学部教授 真山 達志 氏
 日 時:平成14年6月20日(木) 午前9時
 場 所:桜井市役所 2階 大会議室 真山 達志 氏のホームページ
はじめに TOP
第1回市町村合併講演会 皆さん、おはようございます。ただ今ご紹介いただきました真山と申します。これから1時間少し「地方分権時代の市町村合併」ということでお話しをさせていただきます。今、私のプロフィールはご紹介いただきましたので、いわゆる自己紹介は必要ないかと思いますが、今日このテーマでお話しする関係上、私の考え方の基本とか立場みたいなものをちょっと最初に紹介させていただきたいと思います。だいたい市町村合併の講演をする人には、市町村合併を推進するという立場と、市町村合併はちょっと待ったほうがいいのではないかという消極的な立場、大きくは2つどちらかに分かれるのですが、では私はどうなのかということですけれども、基本的には、合併はしたほうがいいだろうというふうに思います。
 ただその際に、合併はするとしても、やはりそれなりの理由があるでしょうし、それからちゃんとした手続きや手順というものがあると思いますので、そのあたりが本当にきちっとできているのかどうかが問題です。これを踏まえた上で合併というものを考えるべきで、合併するのはやはり今の時代の流れというよりは、将来のことを考えて合併が必要ではないかというのが基本的な考え方です。そういう意味では、どちらかと言えば合併推進派みたいになりますけれども、ただご承知のように、国の方が積極的に合併を推進しておりますので、その国の動きがある、あるいは国の方から非常に強く言われるので仕方なく合併をするというような前提での合併に対しては、私は基本的には反対と言いますか、消極的な立場です。
 時代の流れをちゃんととらえないといけないのですが、やはりそのなかで桜井市であれば桜井市の、地元の意志というものをきちっと形成していくというところに、「合併をする、しない」の意味が出てくるのではないかとそんな基本的な考え方に立っています。そういう意味で、言い方は悪いのかもしれませんが、国の先棒を担ぐような感じでの合併推進論というのはできるだけ避けたいと思っておりますので、幸か不幸か、あまり国の方からお声がかかりません。全国のリレーシンポジウムは国のやっていることですので、ちょっとそれにのっかかっている面もあるのですが、基本的には市町村や、あるいはせいぜい都道府県が主催される講演、あるいはJCであるとか民間の団体が主催される講演以外は基本的にはやっていないというのは、その辺、若干のこだわりがあるということです。
 さっき考えてみたのですが、市町村合併についての講演だけで、ここ2年くらいの間で今日が30回目くらいになるのです。あちこちで講演会がありまして、それだけ市町村合併に対する関心が非常に高まっているということの表れだろうと思います。地域によって、府県によって温度差がかなりあります。例えば、この近畿2府4県で言えば、全県的に非常に高まっているのは、私が住んでおります滋賀県です。滋賀県は県内どこへ行っても「合併、合併」というくらい非常に関心が高いという所の一つであろうと思います。滋賀県には50市町村ありますけれども、今、いわゆる合併協議会や任意の協議会・研究会がまったくないというところがないぐらいです。何らかの形で合併の研究・検討はしているか、法定協議会に参加しているというような状況になっているのです。
 奈良県の場合は、おそらく南部の方が合併と一口に言っても、現実問題として大き過ぎるのではないかとか、人口の問題で合併したところで4、5万というのでは果たして意味があるのかということで、県全体の合併論議をちょっと躊躇させるということにもなっているのかなと思います。そういう意味で、この桜井市の場合もおそらく、例えば、滋賀県の市町村に比べれば、合併に対する関心や検討のレベルというのは、まだ若干遅めなのかなあと思いますけれども、後でも申し上げますし、そして皆さんも既にご承知のように、合併特例法の期限が、平成17年3月31日にあります。それがあるがために、少なくとも、とりあえずそこまでに何らかの検討をし、結論を出すという、デッドラインと言いますか、タイムリミットと言いますか、そういうものがありますので、そのうち、という論議ではやはり時代に乗り遅れる危険性があります。そのようなことで、今日私の話を一つの契機として、また新しい段階へ合併の論議を進めていただければというのが私の期待であります。今日の話は、お手元にレジュメ資料を用意していただいたかと思いますので、それに沿って進めていきたいと思います。

1.市町村合併が議論される背景 TOP
(1)地方分権の展開と今後の課題

 レジュメの最初は、「市町村合併が論議される背景」ということになっています。合併の論議がなぜ出てきたのかというのはもうご承知のとおりだろうとは思いますが、たださっきも言いましたように、何となく、みんな「合併・合併」と言っているから、うちもやろうかとか、検討しようかという成り行きの論議ではなくて、やはり今なぜ合併なのかということをしっかりと押さえて、そのうえで論議をしていくというのが大原則というのか、大前提ではないかと思います。とくに、市役所で仕事をされている方とか市議会議員の皆さんは、住民・市民からいろいろ質問を受けたりすることも多い立場の方だろうと思いますので、そういう方には、是非合併の本来の意味というものをきちっと理解したうえで市民と話をしていただければということがありますので、背景などをちょっと確認してみたいと思います。
 最初に、合併の論議が出てきた根拠、とくに、いわゆる「平成の大合併」などというふうに言われております今回の合併の論議が出てきた直接的な背景に何があるかというと、その前後からずっと進んでおりました「地方分権」という大きな流れの中で出てきているというのは、まず間違いないと思います。そこで地方分権が進むことと市町村合併の関係ということの確認をまずしてみたいと思いますが、結論的に言いますと、これは皆さんご承知のように、地方分権を進めて行きますと、最終的にその分権の受け皿になるのは、基礎自治体である市町村というのが一般的な理解です。となると、いわゆる「市町村の能力」、「分権の受け皿としての能力」ということが問われる。それが一般的に言われていることですし、それはそれでまさに正しいことだろうと思います。しかし、話はそんなに単純ではないだろうと思いますので、そこのところを少し考えてみようというのが最初のところです。
図1:権限・財源の配分と行政サービスの関係 そこに図1があります。縦軸に「集中・分散」、横軸に「非標準・多様」、「標準・画一」というのがあるのですが、この縦軸の「集中・分散」というのは、何の集中と分散を見ようとしているのかというと、地方分権の論議の中で、一番注目される要素の一つである「権限と財源の委譲」を見るための軸です。分権が進んでいる、進んでないかを見る重要なポイントは、「権限」と「財源」であるというのは、間違いないと思います。そこで、権限がどこにあるのか、あるいは財源がどこにあるのかということをちょっと考えまして、上の方の「集中」というのは、権限・財源が国や県にたくさんある状態ということです。それに対して、下の「分散」というのは、一番住民に近い基礎自治体である市町村に対してたくさん権限や財源が委譲された状態です。ですから、普通の常識で言いますと、上の方が「集権」で、下の方が「分権」ということになるわけです。ただ、「普通の常識」と言いましたのは、権限と財源が市町村に委譲されたら、それで本当に地方分権は実現したと結論付けることができるのかと言うと、必ずしもそうとも言えないだろうと思うからです。とくに、市民の立場で考えていただいたらいいと思うのですが、権限と財源がどこにあるかというのは、市民生活にとってみたら、実はそれほど目立って違わない。もっと言えば、どうでもいい問題であることが多いと思うのです。日常生活で、「この権限は一体市にあるのか県にあるのか」なんて気にしながら生活している人は、まずいないと思います。だから、権限委譲が進んだと大騒ぎしても、市民は「あ、そう」というくらいになってしまうので、実はそれほど分権が実現したという実感が何も湧かないわけです。
 そこで、もう少し市民が「分権というのが本当に進んだなあ」と実感ができるのは一体何かと考えてみますと、実際に桜井市が提供する行政サービス、あるいは桜井市がいろいろ展開する事業などを見た時に、10年前と考え方や内容が大きく変わっているとか、市民に対する市役所の接し方、あるいは事業の展開が非常に変わったというところが出てきた時に初めて「あ、これが分権の成果なのかな」ということを実感できるのだろうと思います。実際に基礎自治体が行っている行政サービスや事業の内容というのに注目しまして、それを見るのが横軸です。横軸にあります右側の「標準・画一」というのは、サービスの内容、あるいは行政の事業の内容を標準的・画一的にみんなやっている、全国どこへ行っても、あるいは奈良県内の市町村のほぼすべてがみな同じような基準で同じようなことをやっているというのが右側です。左側は、「非標準・多様」ということですので、地域によって市町村によってサービスの内容が違うとか、料金設定が違う、あるいは事業の内容が相当違うというような場合です。この場合、右側と左側どちらがいいかというのはちょっと難しい面がありますが、一般論として言いますと、左側の「非標準・多様」の方が望ましいのです。つまり、国の基準や県の基準で画一的なことしかできないというのではなくて、市であれば市の実状・実態、あるいは市民のニーズに沿ったサービスを展開できるという方がいいわけですので、そういう意味では左側が望ましいと考えられます。ただし、実際市民のニーズをいろいろ聴いていきますと、日本人の国民性なのか、多様性ばかりを求めているとは限らないと思います。周辺の市町村がみんな揃っている方が安心できるというような面もないわけではないです。ですから、市民ニーズを細かく検討していきますと、実は「多様」ではなくて「画一」の方がいいということも場合によってはあります。しかし、それは「多様性」を発揮できるのだけれども、「市民の要望に合わせて周辺市町村で揃えました」ということであって、「国や県の基準がこうなっているから仕方なく揃えました」というのとは意味が違いますので、そういう意味で原則的には左側が望ましい。そう考えた時に、その図の中にひし形や丸や四角がいろいろありますが、右上にありますひし形が従来の日本の国と地方の関係とか、県と市町村の関係を大雑把に表していると考えられるのではないかと思います。つまり、権限と財源は国や県に集中し、市町村は権限・財源不足に悩んでいた。その結果としてなかなか市独自の施策や事業が展開できない。そういう意味で画一的にならざるを得なかったのが右上です。
 それに対して、地方分権で論議されてきましたのは、多分左下の丸印、ここを目標にしていたのだろうと思います。さっきも言いましたように、「分散」の方が望ましい。そして、サービスの内容、事業の内容という点では、できれば左側の「非標準・多様」の方が望ましい。だから、左下というのが理想、ないしは目標だったわけです。ただ、実際に分権を進めるにはいろいろな障害がありますので、一気に理想状態に持っていけないので、とりあえず、右下の四角を当面の目標として設定したわけです。権限委譲や財源委譲を進めていくと、これは法律の改正などをやればそれなりに進んでいくわけですので、それを一つの目標に設定して分権を進めてきたわけです。そして、2000年の4月からいわゆる「分権一括法」が施行されまして、法制度面などを中心にかなり「分散」になってきてはいます。ここまでは、国・県、あるいは県・市町村の関係のなかで、法制度やいろいろな仕組み・体制の変更をやればよかったのですが、問題は右下の四角になったものを左の丸印に持っていく時です。この時に、制度を変えるというようなことではなくて、実際に市町村が権限や財源をどう使うのか、使いこなすのかということが問題になってくるのです。ここで、「市町村の能力」が明らかに重要になってきます。ここで、市町村に能力がなかったり、意欲がなかったりしますと、せっかくある権限や財源が十分に使いこなされなくて、左の方へ行かない。例えば、権限はあるのだけれども、使い勝手が悪いというだけではなくて、どう使っていいか分からないなんてことになってきますと、県や国の示したガイドラインに沿ってやるとか、何かモデル事業があったらそれを真似しておくということになれば、結果的には画一的な事業になってしまいます。これなら意味がない。
 そこで、点線でAと書いてあります矢印、これが第2段階の分権の進むべき道ということで、今この部分が非常に注目されているのだろうと思います。市町村に権限や財源を使いこなして地方分権の理想に持って行けるだけの能力があるのかというところが問題になります。そして、現在の全国の市町村を見渡した時に十分にこの能力があるという市町村が、少なくとも国から見ると少ない。たしかに、能力のある市町村もあるのです。しかし、全体として見るとちょっと能力に不安があるというような状況が出てきまして、この分権の中でにわかに「市町村合併」というのに焦点が合わされることになったわけです。この能力というのは、結局、権限や財源が一応あるという前提で考えた時に、それを使いこなす能力ですので、普通一般に言われています名称で言えば、それは「政策形成能力」ということになると思います。この「政策形成能力」ということは、これまでからいろいろ言葉としては言われてきたのですけれども、具体的にどういう能力で、何をすればいいのかという具体的なイメージがなかったのです。ですから、「必要だ、必要だ」とは言われながら、実際、市町村レベルではなかなかそれを充実させたり、実際にその政策形成そのものをやるということについて、今まで実績や経験が十分なかったと思います。そのなかで、国の見方なのですが、比較的大都市を中心に、大きな自治体はそれなりに政策形成をやってきたという実績がある。これは、ある程度まで規模に比例するのではないかという、そういう見方をしているわけです。その規模に比例するということが如実に表れた一つの例が、「特例市」です。人口20万人以上の都市の場合の「特例市」ですが、これは実は地方分権の権限委譲を論議しているなかで、ある意味成り行きで出てきた制度です。つまり、権限委譲を進める時に、国が市町村に対してどういう権限委譲をできるかというリストアップ作業をしていたわけです。そういう作業をしていくなかで、ある程度まで権限委譲するとそれ以上はもうない、もう委譲できないというふうになったのです。これでは「分権と言ったって大して変わらないじゃないか」という批判が出てきた時に、「じゃあ条件を付けるとしたら人口20万人以上の都市だったならば」という条件が付いて、権限委譲リストにちょっと色が付いたという感じなのです。つまり、20万人くらいの都市だったならば、それなりに仕事ができるだろう。しかし、それより小さいところだとちょっと不安があるというのが、国の中央省庁の見方です。この20万人にどういう根拠があるのかというと、あまり明確な根拠はないです。何となく20万人、まあ強いて探せば、根拠らしい根拠でもないのですけれども、全国の県庁所在都市の中で一番小さな都市でもだいたい20万人に近い。実は20万人を切っているところもあるのですけれども、県庁所在都市ができる程度のことだったならばというようなのが何となく目安なのですけれども、あまり明確な論議がされたわけでもありません。そういうふうに、規模と比例するというような発想がありますので、小さな市町村では能力が低いという考え方が強まります。それで合併という方向が一つ出てきたわけです。これは後で申し上げますように、もちろんその大前提となっているのは財政の問題があるわけですが、財政が強調されているのでそこに目が行きがちですが、実は合併の論議の背景には、市町村のいわゆる「財政能力」とは別の「政策能力」とか「政策形成能力」に対する論議というのもあるということをまずひとつ押さえておいていただきたいのです。ですから、現在の桜井市の財政状況を見て合併が必要かどうかということはもちろん一つ重要な検討要素なのですが、もう一つ、現在の桜井市の政策形成能力は、これからの時代の自治体として十分であるかどうか、これも検討する重要なポイントではないかと思います。
 もちろん、桜井市が周りの町村と合併して大きくなったら、それで政策形成能力が自然と高まるのかと言うと、そんな単純な話ではないと思います。行政の場合、仕事は組織でやり、個人ではやっていません。一般論として、組織の能力、組織の力というのは、規模に比例すると言われます。極端に大きくなると話は別ですが、普通は小さな組織よりは大きな組織の方が組織力というのは高まると言われています。となると、市町村合併では、明らかに市役所の組織規模が拡大します。当初は寄り合い所帯みたいなとこがあり、ギクシャクして上手くいかないかもしれませんが、少し長期的な視点で見ますと、組織が拡大したことによって、一般論的には組織能力がアップします。もっと具体的に見ると、今日のように市町村に形だけの権限委譲、事務委譲が進められ、業務量だけがどんどん増えていますので、実のところは、政策形成なんていうのんきなことを言っている暇はなく、業務処理に追われているという状態が実際としてはあると思います。これが、合併によって、その業務の量ももちろん増えるというものの、今よりは人員に若干の余裕が出る。つまり、政策形成などに時間を割くためのゆとりを作りやすいという意味でも、合併はメリットがあるというふうに思います。
 この政策形成能力を向上させるという点での合併というのは、注意深く見ていただくとわかるのですが、ここ1年くらいでしょうか、国の合併の論議の中にも登場しています。最初の頃は、入ってなかったのです。「行財政能力の向上」という言葉は入っていましたけれど、「政策能力」ということでは入ってなかったのですが、この1年くらい、それが一つの大きな項目として入り始めました。自慢するわけではないですが、私は一番最初から合併の一番のメリットはここにあるということを主張しています。やっと国の方もそれに気付いたというふうに自分で勝手に自己満足しているのですけれども、これはたぶん、将来にわたって地域にとって重要な問題だと思います。今言いましたのは、あくまでも行政という側面で見た政策形成能力ということなのですけれども、もちろん、自治体の能力というのは、行政だけで決まるわけではなくて、市民、議会、すべて全体で一つの自治体のモデルが決まっていくわけです。しかし、行政の能力が上がるということは、当然、その行政を監視する議会の能力あるいは専門性が高まっていかなければならないわけですし、そこで生活する市民のいろいろ関心や能力、そういうものも高まっていくというそういう状況が、当然あるだろうと思います。そういう側面が、合併の論議の背景に一つあるのではないでしょうか。

(2)行政主体のまちづくりから住民主体のまちづくりへ
   −市町村行政の役割変化=きめ細かな行政が理想か−

図2:従来のとらえ方 次に(2)のところで、「行政主体のまちづくりから住民主体のまちづくりへ」というのがございますが、これもこの最近の重要なポイントの一つではないかと考えております。左側に図2というのがありまして、「従来のとらえ方」というところに○が2つあります。この「従来のとらえ方」というのは、社会活動とか社会の領域というものを整理する時に、政府部門と民間部門という2つの部門に分けて整理するというやり方が一般的でした。政府部門を普通「第1セクター」と呼び、民間部門を「第2セクター」と呼んでいました。このような形というのはすっきりしていて、わかりやすい。白か黒かはっきりするという意味では非常にわかりやすいし、実感にもよく合うと思います。この分け方に従いますと、公共の問題、公の問題を扱うのはどこかと言うと、基本的には政府部門ということになります。そして民間部門というのは私(わたくし)の世界です。公私という分け方が、政府部門と民間部門にだいたい対応するわけです。また、日本人の一般的な常識にもマッチしていると言えるわけです。
 しかし、この考え方でいきますと、俗に言う「まちづくり」といった問題は、個人の問題ではないですから、まさに公共の問題です。公共の問題なのだから、誰が主体的にやるのかと言うと、それは政府部門がやるでしょう。具体的に言えば、市がやるのではないのかという考え方が、知らず知らずのうちに定着してしまう。ですから、都市計画なんていう専門的なことはもとより、これからのまちをどうするのか考えるとか、そういうことも含めて全部それは市役所に任せる。それは行政だけではなくて、議会も含めてですが、市に任せてしまう。一般の市民は、全部結果だけを受け入れるという形で、主体的に自分から考えていかないとか、創造していかないという傾向を生みがちです。それだけだったらまだしも、ちょっとでも公共性がある、公の要素がある場合、全部行政に依存してしまうという行政依存体質にもつながっていきます。自分でやればよさそうなことであっても、例えば、良く言われる、近所の犬が鳴いてうるさいからそれを市役所に電話して、「犬がうるさいから何とかしてくれ」と言う。たしかに、それは近所みんなが迷惑しているのですから、公共の問題かもしれませんけれども、人間関係とか、地域の近所付き合いの中で解決しようと思えば絶対できない話ではないと思います。しかし、ややこしいことはみんな市役所に任せてしまえばいいというような発想も、この2つの分け方でどうしても出てきがちです。
 ただ、最近はそれが少し変わりつつもあります。つまり、まちづくりにしても、全部市の方で決めた結果だけを受け入れるのではなくて、自分たちがそのまちづくりのアイデアを出して活動に参加したいという人も出てきます。実際、そういう活動をする人も少しずつですが、増えてきています。あるいは、福祉の分野においても、いわゆる「NPO」などを作って福祉サービス・介護サービスなどを提供するケースもあります。民間の業者だけではなかなか手薄だし、市役所だけに全部頼るというのも無理だとしたら、NPOを自分たちで作って、地域の介護サービスのできる部分をなんとか補っていこうという人が増えてきたりします。そうすると、そういう活動をしている人たちは、主体として考えた場合には民間部門にいる人たちなのです。政府部門の人ではないのです。民間の人なのです。しかし、やっている仕事は、公共のことをやっている。そういう人たちは一体どこに入るのだということになってくるのです。それで、左の2つの丸でいけば、重なっている部分がそれではないのかという話になるのですが、ところがその重なっている部分については、日本では従来から「第3セクター」と呼んでいたのです、自治体と民間企業がそれぞれ出資して会社設立するといういわゆる「第3セクター方式」のあの第3セクターを、この重なっている部分にあてたので、今言いましたNPOであるとか、地域の活動をしている市民活動とかが入る場所がないということになってしまうのです。
図3:最近のとらえ方 そこで、右側にあるような図が出てきたわけです。図3です。この「最近のとらえ方」は、特徴としては、3つ目の円があることです。「サードセクター」と書いていますが、ここは民間なのですが、非営利の部分という意味での民間です。ですから、第2セクターは民間の中で営利を主として目的としているような、要するに企業であるとか、事業活動そういう部門を第2セクターとし、民間だけれども、公共の目的とか、公益の追求ということをやっている部分をサードセクターとして独立させたわけです。もちろん、そこを「第3セクター」と呼んでもいいのですけれども、ただ日本では「第3セクター」というのを違う使い方をしていますので、混乱を避ける意味で「サードセクター」とか、「サードパーティー」というふうな呼び方をしています。そこに入る具体的なものは、NPO・NGO・ボランティア、あるいはさまざまな住民組織、そういうものがそのサードセクターの中に入るわけです。こうなってきますと、公共の問題を扱うのは何も政府部門だけではないということになります。図にも書いていますように、サードセクターも公共の問題を扱っているという形になります。ですから、公共性が少しでもあるとそれは全部政府のやることだ、自治体のやることだというふうに単純に決まるのではなくて、公共性があることであっても、民間の部門が扱うケースもあるし、その方が望ましいという場合もある。それは、ケースバイケースで判断して、一緒にやっていきましょうというような発想に変わってきたことを表しているのがこの図です。
 となると、今までの行政の役割というのは、少し見直さないといけないということになってきます。つまり、今まではおおよそ公共性があったら全部行政に仕事がまわってきたわけですから、文字通り生活に密着したきめ細かなサービスというのが行政に求められたわけです。小さなことでもおよそ公共性があったら行政がやるということで、それこそ「犬が鳴いてうるさい」と言われたら、とりあえずは駆けつけないといけない。そのための体制とか仕組みを作っておかないといけないということだったのですが、3つの円の形になったら、行政は全部やらなくてもいい。やる必要がない。さらに言えば、やらない方がいい場合もある。となると、行政の体制というのはそもそも変わってくるでしょうし、役割も変わってくるのです。何をやるのかと言うと、サードセクターの民間の非営利部門というのは、自分たちのことを中心に自分たちで考えてやっていこうということなのですが、しかしある意味素人です。アマチュアです。ですから、行政、政府部門は、アマチュアではできないプロとしての専門性を必要とする部分を主として担うことになるはずです。例えば、さっきちょっと例に出しましたまちづくりです。自分たちの住んでいる地域のまち並みとか景観というのを統一した感じにしたい。そういう時に、地域の人が話し合いをして、それでこの地域のまち並みはこんな感じにしようということを決めていくことは、地域住民の人たちが主体的にやればできることですが、決めて地域の人が合意しても、それを実現していこうと思ったら、一定のルール化が必要です。新たに入ってくる人とか、あるいはそこに住まないで、店舗だけを構えようと思っている人が出てきた時に、そういう人に強制力がない。だからやっぱり、一定のルール化が必要になります。それは例えば、都市計画のなかの地区計画でやるのか、建築協定でやるのか、そういうルール化が必要なのです。そういうルールを作るということまで住民に自分たちでやりなさいと言われたら、また法律の勉強から全部しないといけない。でもやはり、素人、アマチュアは法律の勉強をにわかにやってもわからないですし、それから手続きなんかも大変です。でもそういうところは、行政はもともと専門でやっているわけですから、その部分は行政がやった方が手っ取り早いし、間違いもないです。そうすると、アマチュアであっても、むしろアマチュアであるがゆえにできる部分と、プロしかできない、プロがやった方がいい部分というのが出てくるのです。したがって、行政というのは、今までのようにきめ細かに何でもやりますという「何でも屋」、あるいは「便利屋」から、プロとしての専門職集団に変わっていくという、そういう時代の流れがあるのではないか。専門職集団、プロ集団ということになったら、さっきの話とちょっとダブルのですけれども、小さな規模で細々としたことをやるという発想よりも、ある程度の大きさで、全体を見渡しながら専門的にやるというような体制に変えた方が合理的ではないか。本当に身近な部分というのはむしろ、行政が手を出すよりも、地域の人たちとか、NPOとか、住民のネットワークが、それなりに地域の実状にあわせてきめ細かに対応していくという役割分担をした方が、合理的ではないかということになってくるわけです。
 つまり、合併をして行政は、広域的で専門的なことを主として担います。しかし、地域ごとの住民に密着した部分というのは、行政はもちろんサポートはしますけれども、その中心は地域の住民組織であったり、あるいはNPOやボランティア組織であったりという、この図で言うサードセクターに入るような部分が担っていくというような分け方をしてみたらどうかというのが、合併を考える時の一つの背景になってきているのではないかと思います。ところが、しばしば言われますように、合併をすると住民自治が弱体化するのではないかという論議があります。たしかに、市が大きくなってしまいますと、何となく市役所というのが遠い存在になってしまうということがあるのですが、実はそれは、昔の論議でしょう。これからの時代は、むしろ、市役所がすぐそばにあって、何でも細かいことは全部市役所にやってもらいますという発想では、本当の意味での住民自治なんか育たないというふうになってきているのではないかと思われます。ですから、むしろ合併をして行政自体の規模が大きくなって、専門的なことしかやりませんよ、その代わり、地域の問題とか、身近な問題はまさに住民自治でやってくださいよ、ということになれば自治の意識が高まるとか、住民の自立性、主体性が高まることになる。そういう流れというのがあると思います。もちろん、現状として桜井市にサードセクターが十分育っているかどうかというと、まだ桜井市に限らず全国で本当にサードセクターが、地域の問題をちゃんと解決していくための力をもっているケースはほとんどないです。だからこれはあくまでも、図2の2つの丸から、図3の3つの丸の方の考え方に、今時代がだんだん移行していますというだけのことなのです。だから今すでにこうなっていますというわけではないのですが、ただ合併の論議がさっきも言いましたように、ある程度長期的な将来を見渡した論議をする必要があると思いますので、この大きな流れというものを一応踏まえておく必要があると思うのです。
 そしてさらに言えば、その合併ということを論議したり検討したりするなかで、行政の意識が変わるだけではなくて、市民の意識転換もしてもらわないといけないのではないかと思います。何でも行政に頼っていればいい、その方が便利だという発想から、やはり自治をもう一度、考えてみよう。行政には一体何をしてもらうのがいいのか。自分たちならどこまでやれるのかということを、住民自らが考えるというそういうことが、合併論議の検討のなかには含まれる必要があると思います。ただこれは、行政が市民に対して言いますと、誤解を受ける場合があります。要するに行政は、仕事を減らして、その分市民に仕事を押し付けるのだろうというふうに見えるわけです。ですからこれはよほどうまくきちっと説明して論議をしてもらわないと、行政は忙しくなったとか、財政が厳しいので仕事できませんから、あとは市民に「自分でまあ適当にやってください」と言っているみたいに聞こえてしまいます。ですから、そこのところをいかにきちっと説明できるかというのは、これは説明する側の能力、努力だろうと思いますが、ただ、時代の流れというのはこんな形で動きつつあるということは、合併を考える時にも一つ重要なポイントではないかと思います。

(3)国の財政事情・行政改革の余波

 そして、合併の背景であります3つ目が、(3)にあります国の財政事情、あるいは行政改革の余波です。それで合併の論議が出ているというのが、これはもう皆さんご承知のとおりで、最近はこの部分の方がむしろ、強調されています。国・地方合わせて借金が700兆もある。こんな状態で、今までと同じ体制でやっていけるわけがないじゃないか。どこの自治体もみんな地方交付税で何とかやりくりしている。しかし、その交付税は確実に減っていきます。そんな時に、これから先やっていけるのですかという財政の問題を主として、合併の必要性を論じる。これは、国がよく言うことですし、そして合併を論議する時によく使われる話です。しかし、これを前面に出してくると、どんどん押し付けの合併になっていくわけです。つまり、国と地方の財政で借金がいっぱいあると言っても、地方にまったく責任ないわけではないのですが、かなりの部分を国だって責任をもっているわけですから「借金が増えたから、あとは何とかお前らでやれ」と言われたって、それはあまりにも勝手な論理じゃないか。景気対策でどんどん地方債を発行して公共事業をやっておいて「借金が増えた、借金が増えた」と言われたってという面もあります。それから交付税が減るというのも、たしかに今の財政から見たら、ある程度やむを得ない面もありますけれども、例えば、都市部・首都圏など大都市部を中心に、都市の再生にエネルギーとお金を注ぎ込むから、それ以外の所は諦めなさい、頑張りなさいというのもまた国の政策方針転換を地方にしわ寄せしているだけではないかという面もあります。
 したがって、この財政の問題だけで合併を論議すると、結局は自分たちに責任があるのだかないのだかわからないようなものを持ち出されて、一方的に押し切られるというような感じになってしまいます。しかし、今の財政状況はそんな悠長なことを言っていられる状態でないことは確かですので、この問題を技術的にも、専門的にも検討しておくというのが必要なことです。しかし、市民に対してこんなに財政が厳しいのですから合併する必要がありますと言っても、多分市民はピンとこないと思いますし、納得できないと思います。ですから、やはり行政として検討する要素と市民に向けて説明して論議してもらう要素というのは、すべてが同じではないだろうと思います。その財政事情の現状を説明し、理解してもらうことも大切ではありますけれども、それだけが合併の理由であり、背景であるということにならないようにしないと、なかなか市民は合併に納得できないだろうと思います。
 それから将来に対し、期待の持てない合併になる可能性があります。財政が厳しいから合併しますと言うと、今があまりにも悪いので何とか切り抜けるために合併するということですから、悪く言えば夢も希望もない合併と言えます。それではなくて、時代の流れがこういうふうに進んでいって、その新しい時代に対応できる、新しい体制を作っていくのですということをもっと強調しないと、本当に夢のない論議になってしまいます。そういうことから、私は財政の問題を決して軽視するつもりはありませんし、実際にいざ合併という論議になった時には、財政というのは一番重要な論点になるとは思いますが、一方で、地方分権と合併がどういう関係があるのか、あるいは市民自治、住民自治というものと合併というのがどう結びついていくのか、こういうところについてもしっかりと検討し、それに対してはきちっとした考えが示せる、これが合併について検討する時の重要なポイントではないかと思います。
 先ほど私のプロフィールのご紹介があった時に「市町村行財政研究調査会」というのがあったのですが、あれは京都府にある組織でして、その研究会はもともとは、いわゆる「合併パターン」作りのために作られた研究会なのです。それには私は直接入っていないのです。その中に「ワーキンググループ」というのを昨年度作りまして、そのワーキンググループで合併をして市町村がある程度大きくなったというなかで、住民自治をどうやって確立していくのかということを研究・調査しました。つい先日、5月の末に報告書が公表されました。その中で、「住民自治が確立できない合併というのはやめた方がいい」とまでは書いてないのですけれど、それを前提にした論議をしています。つまり、合併した結果、せっかく今まで住民が一生懸命活動していたのが、それが途切れてしまうとか、あるいは少しずつ芽生えてきた住民意識とか、自治意識というものが合併を機にまた消えてしまうとか、薄まってしまうことにならないような配慮だという考え方を基本にしています。そして、具体的にどんなことをやればいいかということを、いくつかの地域の特性に基づいて3つに分けて、配慮すべきことをまとめた報告書を出しております。
 そういう研究とか検討というのは、実は全国的には少ないのです。京都府は、従来合併に対してあまり積極的ではなかったのです。前知事が合併消極派だったということもありまして、あまり積極的ではなかったのです。その結果、市町村レベルでは割と合併に対して反対意見というか、消極的意見が強いのです。ところが今、合併という話になってきて、いよいよ何とかしないといけないという段階になったら、この反対意見を何とか押さえないといけないという、そういう事情があったのですが、その結果、反対意見が強いだけに住民自治は合併によっても決して弱まるものではなくて、むしろ、工夫次第では強まりますということをちゃんと説明しないといけなくなってしまったのです。それが、このワーキングができた一つの背景なのですけれども、理由はともかく、結果としてはそういう検討を京都府がしました。しかし、他の府県ではそこまでできていないのです。ですから、もし合併を検討していかれるのであれば、市町村のレベルで住民自治はどうなるのか、今までの地域ごとの自治会などの住民組織がどうなっているのか、活動の実態はどうなのか、住民組織と行政の関係はどうなっているのか、そういうものを全部チェックしていって、それは合併後どうするのかを検討する必要があります。つまり、一つの市になったのだから当然、みんな同じパターンにしてしまうのか、あるいは住民自治の形というのは、地域によって違いがあるのだから、仮に合併しても自治会組織と行政の関係には複数のパターンを用意するのか。その辺のことも検討していかないといけないと思います。そこまで検討しながら、住民に話を持っていけば、住民の不安とか不満というのはかなり軽減できるし、納得しやすいだろうと思います。もちろん、逆にその提案したものが住民の反発を喰う場合もありますが、それはそこでまた相談して変えていけばいいことだと思います。
 以上のように、合併の論議される背景には、地方分権、それから住民自治の姿の考え方の変化、そういうものもある。そして、それに付け加える形で財政面の問題があるのだというようなことで、1.のところはまとめておきたいと思います。

2.市町村合併の論議 TOP
(1)合併を論議することは時期尚早?住民無視?

 次に、2.のところに入りますが、市町村合併の論議について考えてみたいと思います。ある程度の話は既に申し上げたので、若干繰り返しになるところがあります。
まず(1)のところで、合併を論議することは時期尚早なのか、住民無視につながってしまうのかということなのですが、さすがに今「時期尚早だ」と言う人はなくなってきました。むしろ遅いという意見もあるくらいです。そういう意味では、時代の流れとか環境の変化というのがあるのかなと思いますが、それでもやはり住民の意向が固まってないじゃないか、そういう段階で「合併、合併」と言うのはいかがなものかという意見があるのは確かです。たしかに、合併というのは、最終的には住民の意向で決まる問題だろうと思います。住民以外の誰かが決める話ではないだろうと思います。そういう意味では、住民の意向が固まっていない段階で合併の論議を大々的にやることは望ましくないというふうな意見も一応理にかなっているのです。しかし、合併というのは、なかなか住民の日常生活の中で具体的なテーマとして出にくい問題です。
 たしかに、民間レベルでも合併のことを言っている人がいますけれども、良い、悪いということではなくて、例えば、青年会議所の人たちというのは、割と全国的に見ても合併の論議の中核的な役割を果たしている民間組織です。でも、あれは個人としてそう思っているというよりは、はっきり言えば組織として活動している中で合併の必要性というのを感じ、そして組織として合併というのを検討したり、研究したりされている。ですから、一人ひとりの市民という観点で見た時に、市民として生活していて絶対合併は必要だということを実感しながら暮らしている人は、多分そうはいないと思います。もともと桜井市に生まれ育った人であったとしても、桜井市民という意識はあるかもしれませんが、でも桜井市から一歩でも離れたらもう自分は生きていけないなどと思う人はあまりいないでしょう。昔だったらいざ知らず、今の人の感覚としては、そんなに自分の住んでいる所の市とか町と自分の生活というのを直結して考えている人というのは、割と少ない。逆に言えば、それは合併の必要性を実感することも少ないだろうと思います。だから、はっきり言いまして、住民が合併の必要性を感じている、わぁっと盛り上がってくるというのはほとんどあり得ないと思います。何かの組織があれば別ですけれども、一人ひとりの住民・市民が集まって、気が付いたら大きな盛り上がりになっていたというようなそういうテーマにはなり得ないと思います。
 ですから、これはちょっと誤解を招くかもしれませんが、ある程度合併の論議というのは吹っかけないといけないという部分があるのです。今こういう論議がある、こういう時代の流れがある、合併ということがテーマになっているけれども、どうでしょうかという形での論議を向けて行くということが必要だと思います。論議を始めたり、論議を活発にしていくこと自体に、住民が今合併に対して賛成している人が何%以下だからまだダメだとかということではなくて、まず論議をする。その場合、いわゆる合併ありきという論議は、住民の意向を無視することになるでしょうから、ある程度の配慮が必要ですけれども、やはり論議を始めること自体が必要だろうと思います。そしてその論議をすることによって、さっきも言ったように、むしろ住民自身の意識が高まる。それは合併の必要性の意識という意味ではなくて、住民自治をどうしていくのか、これからの地域をどうしていくのかということに対する意識が高まるということにつながるのではないかと思います。既に住民を、市民を巻き込んだいろんな論議が進んでいると思いますので、今さらこんなことを言う必要はないかもしれませんけれども、住民の意向というのを常に気にしながらやらなくてはいけないとは言うものの、賛成が多いから合併の論議をするということではなくて、反対が多いからこそ合併の論議をするということだって、当然あり得ると思います。
 ところで、反対が多い、合併なんかするべきではないという人が過半数に達したら、その時点で合併はやっぱり市民の意向がまだそれほど固まっていないのでやめますというところは結構あるのです。しかしこれは、一見市民の意向を重視しているようなのですけれども、よく考えると、無責任な選択でもあるのです。例えば、市民は合併しない方がいいと5割、6割の人がそう言ったとします。つまり、過半数以上の人が合併に対して消極的だとすると、だからこそ合併の論議をしないといけないのです。つまり、合併をすることの意味は、どういうことかもう一度よく考えて、本当にこの市民の今の結論は間違いないかどうか、市民自身確認してもらわないといけないのです。そして、合併しないならしないで将来、桜井市が単独でどういうふうに進んでいくのか、それは行政が対応を考えるだけではなくて、市民もちゃんと自覚してもらわないといけません。私たちは合併しないという選択を取ろうと今しているのですが、ではその場合、桜井市は将来こういうことが予想されますが、それに対して市民自身はどう対応しますか、どう責任を取りますかということをやっぱり論議してもらわないといけないので、むしろ合併しないという結論を出した市民が多い時にこそ、合併についてもう一度検討しないといけないのだろうと思います。みんな「合併だ、合併だ」というふうに言ったら、逆に、それは具体的にどう合併を進めていくかということを考えればいいということになるので、それ自体合併の論議をあまりしなくていいということになってくるわけです。ちょっと逆説的な言い方になりましたけれども、論議自体は、合併をするにしろ、しないにしろ、やっぱりやらないとまずいということだろうと思います。
(2)過去の合併(明治・昭和の大合併)を引き合いに出す

 (2)のところに、「過去の合併(明治・昭和の大合併)を引き合いに出す」という話があります。過去の合併というのは、ご承知のように明治の大合併と昭和の大合併です。さすがに明治の大合併を今持ってきて、「あれはああだ、こうだ」と言う人はあまりいないのですけれでも、昭和の大合併については割と引き合いに出されることが多いのです。昭和の大合併は昭和28年から始まりましてだいたい2〜3年間でほぼ一段落という一連の大合併なのですが、この時の経験というのは、まだ実体験として持っている方もたくさんいらっしゃいますので、「その時の合併はああだった、こうだった」ということが言われます。しかし、私自身昭和30年生まれなので、最近相当歳取ったなあと思うことが多いのですが、昭和28〜30年頃の状況と今の状況はかなり違います。それから、昭和の大合併の時は実を言いますと、地方分権の流れなどまったくないところで合併をしています。ご承知のように、例えば新制中学を整備しないといけない。だから人口8,000人は最低限必要だというようなことが、合併の大きな理由になっておりましたけれども、これも学校教育制度という国の都合で合併というのがある意味強制的に強行されたという側面があります。合併によって地方分権とか地方自治をどうしていくのかという論議はほとんどされていませんでした。
 しかし、今回は先ほど言いましたように、まがりなりにも、地方分権の論議のなかで市町村合併が出てきていますので、昭和の大合併とは根本が違います。そして、言うまでもなく交通手段・通信手段も変わっておりますし、人々のライフスタイルも全然変わっているわけですから、昭和の時がこうだったから今回もこうだというふうな話はあまり建設的な話ではないだろうと思います。もちろん、参考にすべきところはいろいろあると思います。実際、合併のメリット・デメリットとして挙げられているものは、ほとんどが昭和の大合併の経験に基づいているメリット・デメリットです。だから、そういう意味では経験という意味では尊重しないといけないのですが、昭和の大合併が非常に問題になったから、合併というのは良くないのだというのはおかしい話だろうと思います。もちろん、昭和の大合併の時に非常に合併して良かったから、だから今回もするのだというのも、あまりにも単純な話ですので、過去の歴史は参考にはなりますけれども、合併論議を進める、進めないの根拠にするには、あまりにも話が古過ぎるというふうに思います。したがって、やはりそういうものを少しは参考にしつつも、現代の地方分権、さらに言えば将来の問題という視点で今回は合併の論議をするべきではないのかなというふうに思います。

(3)現在の論議の特徴と問題点

 そこで、実際の合併の論議を見てみるとどうかということを考えるのが(3)の「現在の論議の特徴と問題点」です。特徴としては、どうしても合併の話になってきますと、メリット・デメリットの比較検討みたいな話が中心になる傾向があります。メリット・デメリットは、その下に@からEまでのメリットと、@からCまでのデメリットが書いてありますが、これは例えば、総務省などが発行しておりますパンフレットなどに出てきます、よく言われる一般的なメリットとデメリットです。そしてこれは、多分皆さんも何回も目にしたり耳にしたりされたことがあると思うのです。
メリット
デメリット
 しかし、さっきちょっと言いましたように、このメリット・デメリットというのは、実は昔から言われているものがほとんど変わらないまま出ています。例えば、デメリットの方がわかりやすいと思いますが、デメリットの最初に、「役所が遠くになって不便になる」というのがあります。これは、いろいろなパンフレットに出てくるデメリットの、大抵の場合トップに挙がっているのですが、たしかに、昭和の大合併の時に非常に問題になった部分です。市役所が統合される、どこかほかのところに移ってしまう、遠くなるという時に、そんな所まで行くのは大変じゃないかというふうに言われていたのです。交通手段が昭和30年頃というのはまだまだ不十分で、自家用車を持っている人はほとんどいない。歩くか自転車くらいしかないのが大半という状況では、たしかに物理的距離がたとえ100mでも遠くなったら、それだけでも不便です。しかし、今はまず交通手段というのは相当進歩していますし、さらに言えば、通信手段が発達していますから、普通、市役所の機能の中で一般の市民が日常的に必要とするサービス機能は、全部オンラインで処理できますので、ほとんど支所・出張所で間に合うわけです。となると、市役所や町役場を全面廃止したらともかくとして、支所や出張所という形で残しておけば、利便性という点ではほとんど変わらないだろうと思います。市役所の本庁に行く代わりに出張所に行くだけの違い程度になるだけです。もらう証明書などが違うわけでも何でもないわけですから、不便には実はならない。にもかかわらず、不便になるというようなことが言われる。このデメリットは、言われてみればそうかなという気になるのですが、よく考えてみたらそれほど決定的なデメリットではないと思うのです。役所が遠くなるから合併やめましょうというほどの理由には多分ならないだろうと思います。
 そういう意味で、このメリット・デメリットというのはいずれも、割と古い昔から言われてきたものをいまだに並べているのです。メリットの方も実はそうなのです。例えばメリットの中に、「住民の利便性の向上」というのがあります。この「住民の利便性の向上」とは具体的にどういう利便性かと言うと、いろいろな公共施設、例えば図書館なら図書館でいいですが、合併すると今まで別々の市町村の図書館だったものが、一つの市の図書館になり、市民としてはどこの図書館も全部同じ資格で利用できるようになることなどです。それ一つ考えても、一つしかない図書館が3つ4つ増え、それは利便性の向上だということになるのでしょう。たしかに、不便には少なくともなってないと思います。便利にはなっていると思うのですけれども、例えば合併しないとできないことなのかというと、今のように情報システムが進歩していますと、他の市町村で借りた図書であっても、どこの誰が借りて、その図書がどう移動しているかというのは、コンピュータで管理してしまえばそれほど難しい問題ではないので、相互利用というようなことはシステムとしてはすぐに組めるわけです。だから、本当に市民や住民の利便性向上をしようと思ったら、合併とかそんなことは別にして、図書館は図書館でどうしたらみんなが便利になるか考えて、広域的な連携すればそれでいいという話になるわけです。だから、合併しないとこの利便性は高まらないのかというと、そういうわけでもないのです。スポーツ施設にしろ文化施設にしろ、いろいろなホールにしても、何でも全部ネットワーク化してしまえば、どこの市民、住民も同じように使えるし、同じように申込みができるということを構築するくらいは、その気にさえなればすぐにできるわけです。だからそういう意味では、利便性を向上するというのは嘘ではないけれども、これは合併しないとできないのかというとそんなこともないというのが、現在のいろんな状況を考えると言えることだろうと思います。
 したがって、「メリットはそういうものがあります、デメリットはこういうものがあります。で、どっちにしますか」というそういう論議は、あまり意味のない論議になるのではないかと思います。とりわけ、メリット・デメリット論にはまり込んでしまいますと、結局は一人ひとりの人間が損をするのか得をするのかということで合併を考えることになってしまいます。それはもちろん大切です。一人ひとりの人間の損得というのは、その人にとってみたら非常に重要なのですけれども、この損得で損が得を上回ったら合併しないとか、得が損を上回ったら合併するとかという、そういうレベルで合併を考えていいのかという気もいたします。実はその損得勘定というのは、大抵の人は、現時点を基準にしてどうしても考えるのです。
 例えば今、小さな子を抱え、保育所に子どもを預けて仕事をしている家庭というのを考えてみましょう。この人が、合併したら保育料が上がるのか下がるのかとものすごく関心があると思います。それは当然です。上がったらやっぱり嫌です。下がればいいなあと思います。合併したら実は、いろんな所と調整しますと、月あたり500円下がるとします。じゃあ合併しようというのは、500円で合併を決めていいのかという気もします。しかもその人は、今はたまたま保育所に子どもを預けているから保育料に関心が行くのですけれど、何も一生保育所に通わせているわけではありませんので、2年か3年経ったら今度は学校のことの方が気になるわけです。しかし、なかなかそこまで損得を考えて小学校がどうなるのかということより、とりあえず、今払っている保育料の方に関心がいってしまいます。トータルでどうなのか、自分の将来についてどうなのかというのは、なかなかその損得の計算に入ってこないのです。ですから、損得論議に入ってしまう、つまり、メリット・デメリット論の深みに入ってしまうと、結局は個人レベルの論議に終わってしまいまして、地域全体の論議、将来をどうするのか、ビジョンに関わるような論議というのは、まったくできないようになってしまいます。ですから、例えば法定協議会のような詰めの段階で、公共料金をどうするのかとか、そういう時にそれぞれの人のライフスタイルとか、将来の設計を市民とシミュレーションしてみて、その市民が一生のなかで、合併した結果、負担が大きく増えるかどうかを検討したり、負担増にならないようなシミュレーションをしていくとか、そういうことは必要だろうと思うのですけれども、合併論議の初期の段階で「これだけ得しますよ、ここはこう損がありますよ」ということを言い始めたら、多分合併の本来するべき論議が何もできない。非常に上っ面の論議だけに終わってしまう危険性があるという気がいたします。
 ですから、レジュメの上の方に戻りますけれども、行政が果たすべき役割は何かとか、責任や能力についてどうなのか、桜井市は市ですからそれほど問題ないかもしれませんが、桜井市の合併の対象として名前が挙がっているような町村の場合だったならば、おそらく、今のうちの町役場で10年先やっていけるのか。お金の問題ではなくて、役場の能力という点で他のところがどんどん大きくなっていき、いろいろなことをやっていくなかでうちの町役場は大丈夫かなあと、そういう論議をやるべきだと思います。桜井市も、今のままで本当にずうっと将来的に安定して大丈夫だと言えるのかどうか。そういうようなこともきちんと論議していく必要があると思います。そして先ほど言いました、自治についての検討というのも必要でしょう。したがって、メリットやデメリットを最初に出すのではなくて、行政の役割、責任能力、あるいは住民自治はどういう姿で将来どうしていくべきなのかという論議をして、そういう論議がある程度煮詰まってきたところで「じゃあもし合併した時にはどういうメリット・デメリットがあるのか」を出してきて、メリットとして出されたものについてはそれをどうしたら本当に実現できるか工夫が必要でしょうし、デメリットとして出されたものは、工夫次第でそのデメリットを解消することができないかどうかを検討していく。そのような検討は実は合併論議としてはずっと後の方だろうと思います。例えば、法定協議会を立ち上げてからでもいいと思います。そして、ご承知のように、別に法定協議会を立ち上げたからといって、絶対合併しないといけないわけではなくて、最終的に細かい詰めをしたらやっぱりこれはダメだということでご破算になっても、別に構わないのです。ただそうなると、市町村長、あるいは議会の皆さんにしてみたら、法定協議会まで立ち上げてご破算になるというのはちょっとまずいなという判断が働くとは思いますけれども、でもそこは、英断というのがあると思うのです。やはりダメなものはダメだというので、せっかくここまでいったけれどご破算ということもあり得るということで、論議をしていっていただいたらと思います。

3.合併をすることの意義と合併への道 TOP
(1)現在の各市町の実態に対する関心を高める

 時間ももうなくなってきましたので、最後3.のところに行きます。「合併を検討することの意義と合併への道」というまとめのところなのですが、もうこれは、今まで言ってきたことの本当にまとめになります。まず合併を論議することによって、現在の市町村、自治体に対する関心を高めていくという効果があると思います。桜井市民が、合併の論議がなかったらおそらく、桜井市そのものとか、周辺の地域のことを考えることは、多分なかったかもしれない。それが、合併という論議が出てきて、いろいろな資料が配布されたりして、そういうものを目にする機会を得ることによって、「桜井市の実態って、ああこうだったんだ」とか、「周辺の市町村と比較すると、ここがこう違うんだ」というのに初めて気が付く。これは、仮に合併しなかったとしても、市民が市に対して関心を持ち、しかも、それはちゃんとしたデータに基づいて関心を持つというのは、非常に意義のあることだと思います。実際、そういうデータを作るのもお金がかかり、手間もかかりますから、何もない時に市民のためにとは言うものの、データをいっぱい作って出すというわけにもなかなかいかないだろうと思いますが、一応合併を検討するということになりますと、やはりちゃんとしたデータを作って出さざるを得ませんので、いろいろなものが出てきます。しかも、合併の論議の時には必ず周辺の市町村のデータも一緒に出ますので、比較できるのです。桜井市だけのデータにしますとこれがいいのか悪いのか実は市民にはよくわからないのですが、周辺の市町村のデータを出されると、比較検討ができます。だから、仮に合併しなくても、「桜井市は、あ、ここがこんなにいいんだ」とか、「この部分は何でこんなに悪いの?」とかというのがわかる。それだけでも、市民にとっては意味のあることです。そういうことを契機に、市の実態、市の行政の実状についての関心が高まれば、それだけでも大きな成果だろうと思います。

(2)将来の地域に対するビジョンを描くきっかけになる

 そして、(2)にありますように、合併論議は地域のビジョンを描くきっかけを与えてくれると思います。これはもちろん、合併の論議が理想的な形で進んだという前提で、メリット・デメリット論に終わっていたら、ビジョンなんて描くことはまずないだろうと思います。本当に合併というのはどういう意味があるのか、そして、桜井市一つではなくて、周辺という地域という広がりを持って見た時に、これから先この地域がどうなるのか、それに対してどう対応していくのかというようなことを考えて、いわゆるビジョンを描いたり、考えたりしていくということになれば、これまた、合併の論議でもしない限り、なかなかそういうビジョンを検討するということはないだろうと思います。市独自のビジョンというのは総合計画などで描くのですが、あれはどうしても市の範囲に限定して考えています。しかし、合併を論議する時にはもう少し広い範囲で広域的なビジョンというのは考えます。もちろん、広域市町村圏や広域連合などでも広域的なビジョンというのは描いてはいますけれども、そういう広域連合や広域市町村圏でのビジョン作りというのは、市民はほとんど関心を持っていないし、気が付いてないことが多いと思います。合併の論議のなかでは、市民に身近なところでビジョンの検討ができるというメリットがあるだろうと思います。

(3)住民(組織)、議会、行政それぞれの役割

 そこで最後に、住民、議会、行政それぞれがどういう役割を担っていくのかということについて考えてみます。レジュメの順序は住民が最初にあるのですが、話は逆に行政から行こうと思います。行政については、例えば市長が意向を明確に出さない限り、行政としては合併を進めるとか、進めないということを独自に決めるわけにはいきませんので、一応どちらにもなるような、いわゆる中立的な形でしか関与できないわけです。これは行政の特性上、やむを得ないのですが、しかし、実際問題として、いろいろなデータを出したり、いろいろな合併の背景などを説明したら、市民から見たら、事実上それはもう推進しているとしか見えないのです。要するに、何も言わないのが推進しない、何か言うのは推進するというのが普通です。もちろん、反対の意見を表明したら別ですけれども、一応、中立の立場であっても、合併の検討がされていますので、いろいろな資料・情報を提供しますと言ったら、普通の市民は推進していると考えます。ですから、実は完全な中立などありえないのです。したがって、あまり中立とか公平ばかりにこだわる必要はないのですが、しかし一応、市民が判断するための材料を提供していくというのは、行政の重要な役割であると思います。
 ただ、その時に先ほど言いましたように、メリットやデメリットを説明するための資料とかデータをいっぱい用意するというだけではダメでして、例えば、先ほど言ったように住民自治の姿が将来はこういうものを想定しています、地域住民組織とか、いわゆる自治会というものだけではなくて、NPOとかボランティアというのは将来こういう形で育って広がっていくだろうという想定のもとに、こういうことを考えていますとか、そういう自治の姿とか、市民と行政の関係というのは、将来、桜井市としてはこう考えていますという考え方とか、そういったものをきちっと示しながら、情報提供をしていく必要があると思います。
 次に議会ですが、今日はたまたま議員の皆さんも大勢来ていただいているようですけれども、議会は実は合併については最終的な決定権をもっているところです。議会が最終的に決議しない限り、合併は進まないわけです。だから、生かすも殺すも議会次第ということになりますので、最終的に議会の意思というものがすべてを決すると言ってもいいわけです。最終的に議会に決めていただくのですが、その前提として、議員の皆さんはそれぞれ自分の地元をお持ちでしょうし、いろいろな支援者を含めて、いろいろな所で影響力を持った発言をできる立場の皆さんですので、そしてまた議員というのは個人で活動していますから、当然自分の考えで合併を推進するか、反対するかの立場を明確に打ち出せますので、そういう立場をできるだけ早い時期に明確にしていただきたいと思います。そして、議員の立場、政治家の立場から、市民にいろいろな情報を出していただいて、それと市民は行政から出てきた情報などをぶつけ合って、自分の考え方をまとめていけるのではないかと思います。ですから、議員の皆さんも合併について最終的な決断をどうするのかということを早い時期に表明するのは難しいし、不都合があるかもしれませんが、できるだけ早くご自分の立場、考え方を鮮明にしていただき、その立場からの情報提供という形でいろいろな話をもちかけていっていただいて、賛成にしろ、反対にしろ、合併の論議を盛り上げていっていただきたいと思います。もちろん賛成の立場の方であれば、行政の尻を叩いていただいたらいいのでしょうし、反対の立場であれば、行政の動きに対して一定の批判的な意見も言っていただいたらいいと思います。いろいろな立場が表明されてこそ、市民も判断ができるのではないかと思います。
 そして、市民なのですけれども、一般市民ということで考えますと、やはり合併の論議というのは、厄介な問題というか、面倒臭い話です。どうでもいいと思っていることで論議をすることほど、無駄な感じはしませんので、そこでついつい、説明会があっても、付き合いで行くことはあっても、自分から積極的に話を聞いて、自分の質問を投げかけようという人は少ないだろうと思います。しかし、地域の将来に関わる、自分の生活の将来に関わる問題だということを認識するということが、やはり決定的に重要だろうと思います。今日は、市民の皆さんを対象とした講演会ではありませんので、その辺のことについては詳しくは申し上げませんが、しかし、市民の皆さんがそういう意識を持つかどうかというのは、行政や議会の皆さんの情報提供とかいろいろな関わり方次第だろうと思います。ですから、それによっては市民の意識というのは、大きく変わっていくのではないかと思います。

4.おわりに TOP
 ということで、これから皆さん合併の論議や研究・検討をいろいろな形で進めて行っていただいて、最終的にどうなるかはともかくとして、合併論議を契機に、議会も行政も、そして市民も、桜井市の将来のことをみんなが考えるという、そういう状況になることを切に願って、私の話を終わらせていただきます。どうも長時間ご静聴ありがとうございました。

※ この講演録の無断引用は、ご遠慮ください。【桜井市 市長公室 企画課】

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